つるぴかガールになるために

顔中ニキビに埋め尽くされていた筆者がつやつやお肌を手に入れた方法を公開しちゃうブログ

タダでアメリカに短期留学するに至ったわたしの変哲な経緯

実はあたくしサンフランシスコに留学経験がございます。

 

わたし、(もうあたくしってゆうのやめた。飽きた。)4大に1年通って、

「あ、ここであと3年過ごすのは無理だ(ムダに感じてしまった)」と

思い、中退しています。

でも自営業の両親が頑張って安くない受験代を出してくれ、

合格した大学に通い、そこの学費も出してもらっていたので

なかなか申し訳なくて言い出せませんでした。

 

でも一度大学で過ごしている時間に意義を見出せなくなり、(これも自分の責任ですが)行くのが無意味だと頭で思ってしまったら、

良くも悪くもわたしの素直な体は、乗り換えの駅につくやいなや、

学校へ向かう地下鉄に乗れなくなってしまったのです。

 

乗れないってどういうこと?って感じですよね。

なんでしょう。足が進まないというか。

涙が出てきてしまうこともありました。

で、いけなくて、その駅で動画を見て時間を潰して

帰るなんてこともありました。

 

せっかく学費を出してもらってるのになにをしてるんだろう。って

さらに罪悪感に苛まれることも多かったです。

 

そんなこんなを1ヶ月続けた年度末、

とある夕方、お父さんがわたしに、

『あれやで、別に大学行きたなかったらやめてもええねんで〜』と。

え??って思うより先に涙が出ていました。

 

もう、うわんうわん泣きました。

久しぶりに声を出して泣きました。

 

乗り換えの駅の本屋さんで、

自分はうつ病になったのではないかと思い、

どうしたら治るのかを読みあさっていたこともありました。

そんな毎日をすごしていたわたしからすると

父からの言葉はもう信じられないくらい心が救われました。

 

お父さんの反応はというと、

「え??ビンゴ??」ってゆってました。

ビンゴビンゴ。

 

それに続けて、

やっぱり中退ってなると、そこからの就職活動とかで

ある程度の覚悟は必要になってくるで」ということ、

「これから働くもよし、受験しなおして別の大学に行くもよし」

という選択肢まで与えてくれました。

 

その後に帰ってきた母親はわたしの泣きはらした顔をみて

爆笑して写真をめっちゃ撮ってました(おかしいおかしい)

 

そしてわたしの決断は、

一度フリーターとして働いてこれからなにをするかを

決める。でした。

 

3つアルバイト掛け持ちしました。

1つは両親が経営する会社でアルバイトとして、早朝から働き、

そのあとお昼から夕方までエステで働き、

夕方から夜までは塾講師として働きました。

移動は常に走ってるくらいバタバタでした。

 

その時は大学時代から付き合っていた彼がいたので、

お休みの日はデートして〜貯金して、旅行なんかにもいったりして

毎日すこぶる忙しかったけど、ものすごく楽しかったです。

 

両親の会社の社員さんにもとにかく可愛がっていただいて、

わたしも皆さんが大好きだったので、

毎日とっても楽しかったです。(もちろん大変なこともありますが)

塾でも子どもたちと話したり教えたりするのも楽しかったし、

エステは、自分がエステにお客さんとして行ったときに、

ここで働かないかとお話を頂いて働かせて頂いていました。

この時の技術のおかげで今人にマッサージするのが得意です(笑)

 

そして、わたしは叔母が大好きで、

手芸や料理が得意な叔母のおうちによく遊びにいっていました。

わたしも両方共大好きだったので、

教えてもらったりもしていました。

 

ある日、いつも通りその叔母が晩ご飯を作っているのを

見ていたときに「ミネラルがたりてないからわかめいれよっか」といって

全体の食事を見て、栄養管理をしている姿を目にして、

純粋にかっこいい!!と思いました。ちなみに叔母は管理栄養士です。

 

わたしもいずれできるかもしれない家族のために

栄養を考えた料理ができたらどんなにいいだろう!と思い、

もう一回学校にいって栄養士になろう!

とすぐにパンフレットを取り寄せて、

両親に話しました。「いいやん!!」と二つ返事で応援してくれました。

 

そこからはとにかく勉強しました。

空いてる時間は全て勉強に費やし、

文系から理系に転向だったので、

赤点しかとったことのない化学ももう、それはほんまに勉強しました。

父が昔、塾を10年ちかく経営していたこともあり、

ものすごくわかりやすく解説してくれるので、

わからないところは父に聞いて、とにかくまなびました。

めっっっちゃ楽しかったですよ(笑)

もうあの時はもっと問題ちょうだい!という感じで、

どの大学のどんな問題でも解ける気しかしませんでした。というか解けました。

なんか初めて一つのことをとことん追求したような気がしました。

 

英語も勉強しておきたいと思って、

ディズニーの映画を英語でみて、英語で字幕をつけて、

それまで見ていたYouTubeすべて英語に切り替えて

勉強しまくりました。

 

そして試験をして、見事合格し、入学したのです。

成績優秀者になって、入学費を免除してもらえました。

 

そして、本当に最高の友人にも巡り合えました

ある日、学科の教授がわたしのところにきて、

「学内で受けた数々の英語のテストの成績が良かったから」と

学校が渡航費もすべて持つから留学しないか」と信じられない

お話を頂きました。

「いく!!いかして!!」といったのですが、

複数人候補がいるから、まだここから論文かいて、

さらに面接して決まると言われました。

 

まあ、いけたんですけれども。

あらゆる学科から論文に合格した成績優秀者が集められて、

全員同じ部屋で順番に面接がありましたが、

もう留学が楽しみすぎて楽しみが溢れてたと思います(笑)

 

そして合格しました。

合格ってなんでこんなに嬉しいんやろう??

 

そしてアメリカに旅立ったのです。

ちゃんちゃん

 

あ、両親の反応はどうやったかって?

留学の話来たときもめっちゃよろこんでて、

特に母は同じくアメリカに留学していたこともあったので

「きゃあああああ!」ってなってたのですが、

合格ってなったときはさらにみんなで踊り狂ってお祝いしました(笑)

で、見送る日は空港でお互い泣きまくってました(笑)

わたしにはものすごく仲の良い姉もいるのですが、

姉が一番冷静で、父が一番嗚咽しながら泣いていました。(笑)

 

アメリカでの出来事はまた次回✋